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新聞を取っていないのでここがチラ裏

電子上の死が現代の死?

過去のブログ記事を見ていて 内容はともかく 私が死んでも残っているであろう存在が愛おしくて仕方ない。

 

1年前から精神的に成長してないなと思うんですけど、読み返すと文体もほんの少し違和感を覚えるようになりました。元々上手くないけど更に文章下手になった?やっぱり思考力の低下?理想はtumblrに流れてくるような文体なんですけどああはなれないんだなと失望しています。

 

葬式は死んだ人間の為よりも、遺された人間の為の儀式なんだろうなと思うようになりました。遺された人間が仕切り直して(?)生きる区切りのようなものなのではないかと。

宗教観とかそういうのは頭の良い人が考えればいいと思ってます。ばかにはよくわかんないですし。

 

本人にとって死が全てをなかったことにするとして。普通に生きていたら生者の記憶にしか生きていた記憶が残らないと思います。世帯主なら戸籍だったり家系図に残る事もあるかも知れませんが、何も遺さず死んでいったら存在の抹消も容易いのかも知れないですね。

こうやってブログを残したり、SNSを利用することでそのサービスが終了したり更新のないものが抹消されるまでは私の思考が電子上に残っていると思うと自分の命より長く存在しうるのではないかと思えて非常にロマンがあります。

例えば大きな天災だったり何かの人災に巻き込まれて自分が死んだとして、死は急に来るものでそれを遺す事ができないとしたら、死んだ人間の過去の思考を そうと知らず第三者が目にする事ができる可能性があるって事ですよね。それは非常に興味深い事だと思います。

 

電子上に残った私の思考が電子上の総意の一部になったとしたら、それは非常に興味深いでしょうね。例えばgoogle検索でこのブログに行き当たるとして、生きている人間がこのブログを見て思考の一部に取り込まれれば私の思考が一部生きている人間に干渉し、思考が消えて影響を一切受けなくなる事が死であるならば私の命はこのブログが残っている限り永遠になりうる可能性があるって事にならないですかね。

 

酒を飲んでクダを巻いてる様なブログが残る事が果たしていいことなのかは分かりません。酒で頭が回らないので今日は終わり。