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新聞を取っていないのでここがチラ裏

自己愛

ヲチスレを見ていて自分みたいな人間が叩かれまくってるのを見て反省する日々です。

自己顕示欲が強くて自分の事しか考えない、隙あらば自分語りとか、愛情=セックスだと思ってるとか。

 

自己愛性パーソナリティ障害 - Wikipedia

 

以前同じ事を行いましたが、何となくでwikipediaを見て自分に当てはめて安心するのは非常に良くない事だと思うようになりました。そもそも専門家でもないしwikipediaを斜め読みした程度で分かった気になってるのは頭が悪い。

頭悪い事なんですけどこれを見て驚いたことがあったので。以下引用全て上記のwikipediaです。

 

自己愛性パーソナル障害の名前自体はインターネットをやっていれば見る事が多かったんですけど、具体的にどういうものなのかとかは全く知りませんでした。

ありのままの自分を愛することができず、自分は優れていて素晴らしく特別で偉大な存在でなければならないと思い込む

だそうです。

自己愛性パーソナリティ障害の症状で当てはまるものを抜き出すと

・人より優れていると信じている
・権力、成功、自己の魅力について空想を巡らす
・業績や才能を誇張する
・絶え間ない賛美と称賛を期待する
・自分は特別であると信じており、その信念に従って行動する
・人が自分のアイデアや計画に従うことを期待する
・人を利用する
・劣っていると感じた人々に高慢な態度をとる
・嫉妬されていると思い込む
・他人を嫉妬する
・非現実的な目標を定める
・容易に傷つき、拒否されたと感じる
・脆く崩れやすい自尊心を抱えている

上記のようにかなり多くが当てはまりました。

みんなそうなんじゃないんですか?極端な話、普通の人って何か行ったら自分が賞賛されるべきだと思わないんですか?

今は自分は特別ではないと理解ができた(気がしている)のでそこまで極端ではありませんが、誰しもそうなんだと思ってました。だから他人を尊重すべきなんだと思ってた。

 

強力な劣等感および決して愛されないという感覚に対する防衛によるものと考えられている。

人より優れているという固有の高い自己価値感を有しているが、実際には脆く崩れやすい自尊心を抱えている。批判を処理することができず、自己価値観を正当化する試みとして、しばしば他者を蔑み軽んじることで内在された自己の脆弱性を補おうとする。

現実との関わりを避け、決断や実行を回避し、ひきこもることで自己の栄光を維持しようとする。それは、何もしないでいれば、何でもできる可能性の中にとどまっていられるからである。

プライドが高ければ高いほど、自己愛が先鋭化しているほど、失敗した際の恥の感覚はより一層強まる。

プライドの高い人間が最も避けなければならないのは、狼狽する自分の姿が衆目に晒されることであり、他人から認められたいという人一倍強い欲求が、彼らを圧倒して強い緊張を生みだし、それはやがて恐怖感となって彼らを覆うようになる。

雑な引用をするとこの辺を否定できる要素がありません。おっしゃる通りです。

自己愛性パーソナリティ障害の原因となる因子のうち

・現実に立脚しない、バランスを欠いた過度の称賛

・良い行動には過度の称賛、悪い行動には過度の批判が幼少期に加えられた
・親、家族、仲間からの過剰な甘やかし、過大評価
・幼少期の激しい心理的虐待
・予測がつかず信頼に足らない親の養育
・親自身の自尊心を満足させるための手段として評価された

辺りが当てはまるのかなと。今思うと子供の頃過大評価を受けていたんじゃないか?とも思うのですがそんなに褒められた記憶がないです。母親が「お前は褒めて伸びるタイプじゃない!叩いて伸ばせ!」と言っていたりしたので蝶よ花よと褒められてはいなかったんじゃないかと思います。どうなんだろう。

自分は人に根本的に受け入れられない欠陥があるという信念の結果によるものと考えられている。この信念は無意識下に保持されているため、そのような人は、もし尋ねられても、概してそのような事実を否定するであろう。人が彼らの不完全性(と彼らが思うこと)を認識し、それに続いて耐え難い拒絶や孤立が生じることを防ぐために、その様な人々は他者の自分に対する視点と行動を強力にコントロールしようとする。

自分が人にとって何の重要性も持たず、関係性もないと認識してしまう。このような子どもは概して、自分には価値が無く、誰にも必要とされないというパーソナリティ上の欠陥をいくらか有していると信じるようになる。

操作的で、非難がましく、自己没頭的で、不寛容で、人の欲求に気がつかず、自分の行動の人への影響を意識せず、他者に対し自分が望むように自分のことを理解するよう強く主張する。自己愛的な人物は、他者を犠牲にして自分を守るための様々な戦略を用いる。彼らは他者を価値下げし、非難し、傷つける傾向がある。また彼らは怒りと敵意を持って、脅迫的な反応で応じる。

過度に自己愛的な人物は概して、批判されたときは拒否され、屈辱を与えられ、脅かされたと感じる。これらの危険から自分を守るために、現実あるいは想像上のものにかかわらず、いかなるわずかな批判に対しても、彼らはしばしば軽蔑、怒り、あるいは無視などで反応する。

そのような状況を避けるために、自己愛的な人の中には、社会的にひきこもって内気で謙虚であるように装うものもいる。自己愛性パーソナリティ障害の人物が、称賛・是認・注目・肯定的態度が不足していると感じた場合には、彼らは自身が脅かされたという感情をはっきりと示すことがある。

挫折や反対意見、批判に我慢強く耐える能力がなかったり、加えて共感性の不足が、人と協調的に仕事をすることや、長い期間を要する専門的分野での成果を保持することを困難にしている。自己愛性パーソナリティ障害の人物は、現実離れなほど誇大的に自己を認識しており、しばしば軽躁気分を伴って、概して現実の業績に不釣り合いな認識でいる。

「現実の自己が一方にあり、他方に理想自己と理想対象があり、それらの間にある通常の精神的緊張はうず高く築かれた自己意識により排除され、そのような状況の中で現実の自己と理想自己、理想対象が曖昧になっている。それと同時に、受け入れられないイメージの残余部分は抑圧され、外界の対象に投影され、それらは脱価値化される」

誇大的自己と無能的自己に分裂しており、真の自己である等身大の自分が存在しないのが特徴である

病理的な親は自分の延長物として子どもを利用する。常に上を目指すよう励まし、人より優れることを期待する。期待に沿う限りにおいて子を甘やかし、賞賛するが、出来ないときには失望し、怒りを表出する。自身の自己愛によって子を振り回すのである。こうした期待の内実は親自身の欲望であり、子どもを自分を飾る道具、所有物、モノとして扱っているにすぎない。親の自己愛の照射を受けて養育された子どもは、期待に添う限りは賞賛され、愛されるが、一方では自分は無条件には愛されない(すなわち、本当には愛されない)という二重構造の中で生きる事となる。

そうした子どもは物を介して甘やかされてはいても、信頼と受容の関係という甘えることを体験していない。輝く子どもであることを無意識に要求され続け、しかし際限のない親の欲望を満たすことができず、常に自己が無力化される機構が働いている。無力化される体験を浴び続けることで形成されるのは、深刻な欠損を抱えた空虚な自己である。自己不信を中核とした自己意識は常に悪性の抑うつを生み出し続ける。自分は無力で価値のない、無意味な存在であるという極度に価値下げされた自己像を抱える子どもは、自己不信が生みだす深刻な抑うつを防衛するために、鏡像で映したような、等価の価値のある自分を発展させて自己をバランスしようとする。甘えを断念して手に入れたのは病理的自尊心であり、背後には茫漠たる自己不信が横たわっている。そしてその内部には愛されないことへの不安と怒り、嫉妬と羨望の感情が渦巻いている。

内的価値は自分の存在が周囲から許され愛されており、無条件に自分という存在には価値があるという感覚によって成立する。自分の内的なものに自信がない彼らが社会で生きていくためには、誰もが目で見てわかるような外的価値を獲得するしかない。収入、学歴、職業、地位、才能、ブランド、優れた容姿、スリムな体型などはその代表的なものである。周囲の人からどう思われるかに敏感であり、常に他人と自分を比較しながら生きざるを得なくなる。輝く自分を実現するには、他人を蹴落してでも上位にならなければならない。外的価値は結果を出すことでしか得られないため、プロセスはなんの意味も持たなくなる。結果主義は勝ち負けの世界を用意し、必然的に嫉妬と羨望を呼び起こす。等身大の自分を持ち合わせていない彼らは、優越している自分は他者を見下す対象にし、転落した無能な自分は見下される対象になり、対等の人間関係をつくることが困難になる。早期に自立を期待され、甘えを封印してきた彼らは、子ども時代を積み残したまま次の発達段階へと進んでいく。

誇大的自己が意識にのぼっている時にはエネルギーに満ち、軽躁的な活動性を示す。それに対して無能的自己が持続する状態に陥った時には、深い無力感、空虚感にとらわれ、絶望的な抑うつの海へと沈みこむ。自己愛性パーソナリティ障害の人格構造は、誇大的自己と無能的自己のあいだで振幅運動を繰り返すところにある。

こうした2つに分極した自己構造を持ち、中間にある等身大の自分が存在していない。失望や失敗をきっかけに無能的自己へと転落して激しい抑うつを体験する一方で、自己評価を高めるような出来事を体験すると誇大的自己へと復帰する。適応が上手くいっている時には問題がないが、現実が思う通りにならず破綻をきたした時に露呈する感情は、激しい怒り、強烈な羨望、無力感、無価値感、空虚感、孤独感であり、それは自己不信にまみれた人間の抱く感情でもある。

ほぼ抜き出しでこれ以上言うことがないくらいまとまってる。あたまがいいひとってすげぇなー。

いつまでも自分の人格に関して親のせいにするのは最悪だとは分かってます。

 

wikipediaの自己愛性パーソナリティの有名人の段を見て、ダリの話が母親と重なるなーと何となく思いました。母親もうつ病の診断持ちなので母親は母親で何かしら抱えているんだろうな、と。

 

私は精神科にかかる気はないのでこれを知ったところでただの自己満足でしかないです。

何て言って精神科に行くの?承認欲求が強くて生きていくのがつらいです!とでも言うの?

 

誰しもこういう自己愛を屈折させて生きているものではないと分かっただけいいことにします。