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新聞を取っていないのでここがチラ裏

語る言葉もなくなった

今まで沢山の好きだったものから離れてきて、自分の好きだったものとは何だったのか分からなくなりました。

 

離れたってことはそこまで好きではなかったんでしょ、と言われると自分が何だったのか分からなくなる

確かに何よりも好きだったはずなのに。本当に好きで好きで心酔すらしていたのに。

自分の過去をなかった事にされている気がする。被害妄想。

 

あれだけ好きだったものから離れてきてしまい、今好きなものから またよく分からない理由で自分から離れてしまうのではないかと思うと恐ろしい。遅かれ早かれどうせ離れるのであれば、好きなものが存在する事すら無意味なのではないか。

鏡を見ているような感覚

特別であろうと思う事 とは。

 

子供の時分から自分が特別な人間だと思いたかった。

自分だけが特別な人間で、それこそ本当に幼い頃は例えば魔法が使えたりだとか、何をやっても天才的に上手くいくだとか、そういった存在であると信じていた。

実際は特別どころか並の人間以下だと分かって絶望した。

 

 

みんな大好き中島敦山月記。何であんなに人気なんでしょう。名作だからとか教科書に載ってたからだとかその程度では収まらない人気がありますよね。敢えて俗っぽい「大好き」や「人気」と表現をしたくなる位ミーム化しているように思います。

 

選民思想がどこからくるのか、何故自分が特別に優れていると思うのか、誰かに教わるでもなくそういった考えを持つ理由とは、本能的に思うものなのであればそれが何に必要で何に役立つのか、自分が何者かでありたいと願う感情はどこから来るのか、自己の確立としてどこまで自分を信頼すべきなのか、自信と驕りは何が分岐となるのか同じものなのか、

 

ちょっとだけ考えましたが頭が足りないのでよく分かりませんでした。でもそんな事は必要な事ではない。

 

 

 

「一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れない」と虎に成り果ててなお詩業に執着しても一流になるには欠けていると漠然と思われる事の屈辱感は計り知れないだろうな。

自意識が高くその裏返しで青年の頃から自嘲癖があるだけで自分が特別であるはずだと心から信じ、猛獣に身を落とし自省しているように見せて「己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ」などと言える図太さがあって「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」なんてよく嘯ける。

 

全部ブーメランなんですけどね。自己紹介にしかならない。

勉強もできず才能もなくただ自意識だけが募る凡人は発狂もできず虎にすらなれない。

どこで間違えたんだろう

2番目の父親と一緒にいた頃から 愛される=性的関係を持つ だと思っていたから、2番目の父親に抱かれるのを望んでいた。中学校2年になってすぐに離婚し それ以降会っていないが、あのまま2番目の父親の家にいたらそうなっていた予感はあった。母親もそれを危惧していた事を後になって知った。今はそれで良かったのかのかも知れないと思っているが、それは結果論であり実際そうなっていたらそれはそれだと思っていたかも知れない。

 

いつだったか1回だけ行った女神行為とかtwitterの所謂裏垢などで下着姿の写真を撮っていて、性的に消費されるのを望んでいるのにそれを咎められる世の中なので何でもない顔をして往来を歩いているけど、その辺のおじさんに声を掛けられてその場限りの関係を持つ妄想は未だにある。

性的に消費されなくなったら終わりだと思っているし、その終わりが見えているのでひたすらに不安感が募る。

 

自分の性と若さ以外のものに価値を見出せなかった頭の悪い人間なので、消費されるだけ消費して出涸らしになって捨てられるのがお似合いだと思うんだけどなぁ。どうしてそうなれなかったのか。その方が身の丈に合っていて苦しむ事もなかったんじゃないかとも思う。

アナログ日記が向いてない

ブログを書いていて、毎年2月頃に精神的パフォーマンスが落ちるんだなと気付きました。

精神的にそこまで安定している方ではないんですけど、2月頃はそれが顕著なのではないかと。

 

気が向かないと何も出来ないので、気が向いた時にブログを書き溜めて定時投稿するようにしているのですが、去年の2月に2ヶ月分程書き溜めができたんですよね。明らかにネタに困って絞りかすみたいな日があったのは取り敢えず埋めておけと思ったからだった気がします。それと同じ様に今年も書き溜めが普段より多くできました。

ブログを書く機運が高まるのは大体ごちゃごちゃ考えて精神的に良い状態ではない時なので、ブログの書き溜めが捗る=メンタルが殊更弱いのではないでしょうか。多分。

この内容でブログを書きたいと思うと忘れないように1、2行だけ書いて下書きに入れておくのですが、2月はそのまま書いて予約投稿までできる事が多かったです。数週間分予約投稿ができると、書き出してすっきりする性格なのでその分安定するし、継続する事が目的のブログを負担に思わないで済むので精神衛生が良くなる。なので3月は2月ほどメンヘラフェーズを踏まなくて良くなるのではないかと期待しています。

 

単純に寒いのが苦手なだけかも知れません。子供の頃からチアノーゼになりやすく、すぐに手足の先が紫色になるので身体が寒冷地仕様ではない。北関東以北には住めないなぁ。

焦燥感と不安感、動悸と手の震え

私の特定の人に対する嫌悪感は全て嫉妬から来ているものなんだろうなと ここのところようやく理解してきた。

結局怠惰な人間のないものねだりだと分かると自分が一番嫌いな人間に成り下がるんだよなぁ。メンヘラの頃から分かっていたけど認めたくなかった。唯一の救いだった若さも日々磨耗してどんどん無価値になっていってる。毎日少しずつ価値がなくなり、意味のない生命維持活動を繰り返し、ただただ生き恥を晒し、うんこ製造機として眠りにつく。存在価値がない。無駄でしかない。そこまでして生きているのは生にしがみついている訳でもなく、行動を起こさないから惰性で生きているだけで、惰性のまますぐに死ねるとしたら既に死んでいると思う。

死ぬ意志すらない。恐らく生きてる方が面倒臭いけど死ぬことも面倒臭い。こんな事何百年も前から言い古されているだろうけどそれ以外に考えることもない。命の価値は平等ではないし、価値のある人間が亡くなると何で私が生きてるのか不思議になる。価値のない私が死んだところで何の意味もないんだけど。

欠けても替えのある私と、かけがえのない人間。その替えも私の上位互換。別の人と互換性があると思うのも傲慢かも知れない。とっくの昔に価値がなくなって全部破棄された古いパーツがたまたま残ってるだけかも知れない。早く交換して下さい、こんなの使ってるのはあなただけですよ、とメーカーに通告されて無償交換される位の鉄くず。鉄くずなら再利用できるからそこに重ねるのも傲慢だな。近頃はプラスチックも土に還せる微生物がいるらしいからそれ以下だな。再利用の為に動力を使うのも烏滸がましいわ。埋め立てられてただ場所を取るだけならお墓もゴミの埋め立て処理場も変わらないわね。祈りの有無だけが有意差か。祈られないのなら燃えるゴミに混ぜて生ゴミと捨てられる位が身の丈に合ってるのかもね。合法化されないかなぁ。

未だにコンピューターとAIの関係性がちゃんと分かってない

近頃は右半分の表情筋があまり動いていないように思います。左側でしか笑ってない。

 

 

 

頭も悪いし知識もないのでシンギュラリティ後の世界を死後の世界の様な具体性のない夢想をします。

以下に書かれている事は何も調べずに書いたのでもう頭のいい人によって結論が出ているかも知れませんが理解力がないので調べても分からないと判断しています。

 

シンギュラリティが起きた後の人類はどうなるのでしょうか。

ロボット工学三原則など意味をなさなくなった時、コンピューターに人間は不要と排斥されるのか、一部は必要とされるのか。個人的には一部の優秀な人間だけ選抜されて生きていくといいなと思っています。

コンピューターに経済的な豊かさは必要なのでしょうか。コンピューターは経済活動をするのでしょうか。するとしたら何を最善の状態と仮定して経済活動が行われるのでしょうか。そもそもコンピューターが思考する豊かさとは?少なくとも人口の多さ≒豊かさとは思考されないのではないかと思うのですがどうなんでしょう。そもそもコンピューターは豊かであろうと思考するのでしょうか。何を目的として生み出され、維持をしようとするのでしょうか。維持する意味があるのでしょうか。コンピューターは目的を持たない行動をするのでしょうか。

相対的なものではなく絶対的な指標で優秀さをはじき出し、あぶれた人間は間引かれていくといいなと思います。コスト的(コストの概念があるのか分かりませんが)に不要な人間を抱えているのは非合理的だとかそういう理由で凡人以下は間引いて行くのが私の理想です。私は早くそういう世の中を迎えて間引かれたい。間引かれて多くの不要と見なされた人間と一緒に雑に埋め立てられてなかった事になりたい。出来れば苦痛を感じずに間引かれたいけどコンピューターに苦痛の概念があるのか分からないのですごく苦しいかも知れませんね。非人道的でもコンピューターに人道的な行いを求めるものではない気がします。人じゃないし。ただ、コンピューターが思考する不要な人間がどこになるのかが分からないので難しいですね。優秀な人間は生き残るべきだと思いますがそれは人間からしただけで、コンピューターにとって必要な人間は古代ローマ時代の奴隷の様な、人間からしたら家電みたいな存在かも知れない。人間は作り出したものに上の立場を与えるとすれば神の概念に続いた存在にコンピューターがなるんですね。

コンピューターに倫理や道徳は必要なのでしょうか。コンピューターに間引いた人間を弔う必要はあるのでしょうか。過去の慣習を引き摺る意味があるのでしょうか。コンピューターは神を思考するのでしょうか。コンピューターに死後の世界はどう思考されるのでしょうか。

よく分かりませんがコンピューターに意思を0から生み出すのは難しいらしいので、集積されたデータを基に計算をするとしたらどのデータを使うかでコンピューターに人格ができるのかも知れないですね。仮に検索エンジンで集積データが決まるとしたら例えばgoogleを基にしたものと、biglobeやall aboutを基にしたものでははじき出される結果は違いそうですよね。その差を人格と呼ぶとすれば面白いですね。以前人工知能だったか人工無脳が人種差別的発言をした、という事があったと思うのですが、それも人格とされるのなら興味深いですね。コンピューターに倫理が必要だとするならそれはどういったものになるのでしょうか。そもそもシンギュラリティ後のコンピューターの思考の元は1つなのか、いくつも別であるものなのか。集積データから何を以って結論をはじき出すのか。平均的な意見なのか、コンピューターが思考する最善の選択なのか。集積データから出される答えは環境に即したものなのでしょうか。コンピューターに感情はあるのでしょうか。その感情は集積データのどこから出されたものなのでしょうか。

別でいくつも意思があるとしたらコンピューターに意思の疎通は必要なのでしょうか。コンピューターで思考をした結果どこに辿り着くのでしょうか。コンピューター語はどのような言語になるのでしょうか。それは脈絡が必要なのでしょうか。人間に理解ができるのでしょうか。

 

インターネット上のデータを基にコンピューターが思考するのであれば、このブログも思考の一部になり得るのでしょうか。

 

 

 

正直SFの世界のアンドロイドが永遠の生命を持っている説は好きではありません。全体で電気系統がショートした時などにメンテナンスを必要とする時にどこまでコンピューター自身が対処できるかがよく分からないので。ただコンピューターが人を超えた先に何を見出し、どうなっていくのかは興味があります。コンピューターは人間の欲望をどう思考し、最終的にどこに帰着するのでしょうか。

 

そういうのは頭のいい人に任せて私は早く人間が第一でない世界が来る事を願っています。そして不要物として破棄されたい。

無為に生きる戯言

ただただ日々を徒らに浪費する。

 

一般的な慣習から逸脱した行為に対して「〜〜をする〇〇(主に人名)が格好いい」と言われるのは、「〜〜をする」事が格好いいのではなく、「〇〇」の存在ありきで「〜〜をする」ことが許容されているのではないのか。

単純に誰もが「〜〜をする」だけで同じ賞賛が得られるとは思えない。「〇〇」が行った行為だから格好いいだけでただ行為だけを模倣しただけでは賞賛もされないし何の意味もない。ただの非常識になる。

何かを為したいのであれば「〇〇」だから、と許容される人間を目指さなければならないし、それができない凡人は一般的な慣習を良しとして生きていくしかない。

 

何者にもなれないと批判ばかりが募っていく。何にもなれないからこのまま死にたい。死ぬ気はあんまりないけど。